河内長野市・地場産業

その2.

河内長野では1870年(明治の初め)頃より、里山周辺に自生して
いました
“黒文字”“卯木”の原木を爪楊枝の製造業者に販売しておりました。
その後1883年(明治16年)頃に至り当地でも製造を行うようになりました。

黒文字の木

卯の花の木

河内長野で機械による本格的な製造が行われましたのは
1924年(大正13年)に当地の現「広栄社」の初代 ・稲葉由太郎氏が
アメリカより平楊枝の製造機械を輸入して製造を始めたのが創めでした。

当時ヨーロッパでは、殆どが「ひらようじ」で、
白樺の原木はこの上ない最適の材料でした。
河内長野では原木の白樺を信州・ 北海道より買い入れ、
生産された「ひらようじ」は世界にも輸出されました。
その後河内長野は「つまようじ」の独占産地として96%の占有率を誇りました。

しかし、最近では「つまようじ」の生産は殆どが中国製に変わりました。
現在、河内長野は製品の輸入と販売を行っておりますが、
その占有率は86%を維持しております。

先日、「つまようじ資料室」を訪問し「つまようじ」の歴史と
かっての製造方法の説明を受けました。
次のページにそれをUPしましたのでご覧下さい。


注、このホームページの写真・説明には、つまようじ資料室の
ご案内パンフレットの一部を借用しております。

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爪楊枝
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