世界の“つまようじ”の歴史

エジプトでは紀元前3千年頃の墓から、黄金製の
小楊枝が発見されております。

インドでは、今から2500年前にお釈迦様によって
“ようじ”が広められたとの事です。

当時はニールの木を噛んで歯の清掃を
行ったため、この木を歯木と言いました。

中国にもその後“ようじ”は伝わりましたが、ニールが
無かった為に、柳の木が使われました。
その為
“楊枝”と言われるようになりました。

また、10世紀頃の皇帝の墓からは象牙の楊枝も発見
されました。

日本には朝鮮半島を経由して、奈良時代に入ってき
たと言われています。
平安時代にまず貴族に、その後一部の庶民にも洗面
の習慣として使われるようになりました。
江戸時代には更に民衆の習慣として定着しました。

当時は“房楊枝”と称し、歯ブラシ・舌掃除・ようじの
3機能を備えたものでした。

写真の手持ちの房楊枝は右側の方が房状になっており、この部分で
歯を磨き、左の先端部分はつまようじとして使用した。
また、手持ちの左部分は薄く平らになっており、舌の苔掃除に使用した。
私が子供の時使用した(戦前の)歯ブラシには、舌の苔をそぎ落とす
ヘラが付いていたのを思い出します。
房楊枝を使う吉原美人
↑房楊枝を使う弘化年間
(1844〜1848=江戸末期)の娘さん
向かって左手の柳の枝の先が
  楊枝になります。
           
ヨーロッパでは個人の持ち物として銀製の装飾性
ある楊枝が好まれました。



特にイタリアでは、日本から輸入した楊枝を
常備しているレストランは高級店と言われて
人気が高かったそうです。

銘柄には“東京””富士山”“げいしゃ”“きもの”
”さようなら”等がありました。
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メキシコの楊枝です。柄の部分に芸術性があります。
写真は一部を除き拡大できます