滝畑民族資料館
 河内長野市の中心部より南西約10kmの山間部に滝畑7ケ村があります。
この中心部に昭和48年から9年の歳月をかけて、貯水量900万トンの多
目的ダムが造られました。
しかし、ダム建設の蔭にはこの滝畑地区の村民が、長年に亘り独自の文化を
守り続けてきた先祖伝来の故郷を放棄せざるを得なかった犠牲がありました。

 湖底に沈む村には、この地域にしか見られない250年以上経過した「妻
入横割型」の間取りをようする民家がありました。併しその民家にも時代の
流れに従い改造が加えられてきました。

 
「妻入」とは屋根全体を外部から見た場合、三角形に見える側に出入り口がある建物のことを言う。


「滝畑民族資料館」は、昭和56年にこの滝畑地区の民族・美術工芸・民家
建築等を後世に伝えるため、湖畔の夕月橋付近の高台に建設されました。
資料館は前述の民家(旧梶谷家)の、改造部分を除外し、建設当時の古い形
に戻して移転した民家棟と展示室からなっております。
この民家棟の屋根は、資料館からも望見できる岩湧山山頂の茅で葺かれてお
ります。
 滝畑地区の生業であった光滝炭
(こうたきずみ)は茶席用として高く評価され
ておりました。この実物は展示室でみることが出来ます。
              *記述は民族資料館のパンフレット説明文より一部をお借りしました。
←手動です

湖底に水没する事になった87戸の村民は、市役所の南西3kmの地に集団移転し、
地名を「新滝畑台」と称し、新生活を始めて30年近くの歳月が経過しました。
新滝畑台の集会所前には下の様な碑文が建立されています。
碑文には、「15万市民の為、千年の歴史を持つ父祖伝来の山紫水明の地に
断腸の想いで決別した」旨がめんめんと述べられています。
では、滝畑民族資料館をご覧下さい。
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