醍醐寺は弘法大師の孫弟子の理源大師・聖宝により、
貞観16年(874年)に創建されました。
開創後、醍醐・朱雀・村上の各天皇の深い帰依により、
薬師堂、五大堂、釈迦堂、法華三味堂、五重塔が建立されました。
以後も皇室・貴族・武士の支援を得て三宝院等が建立されました。
その後,文明・応仁の乱で五重塔以外は焼失し、荒廃しました。
慶長3年(1598年)の春、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」を機に多くの建物が再建されました。
秀吉は秀頼・北政所・淀君・ほか1300人を従えての花見遊山であったといわれております
このような栄華を極めた秀吉も秋の紅葉狩りを待たずに、その年の8月18日(62歳)で、この世を去りました。
この故事に因んで、醍醐寺では毎年4月の第2日曜日に桃山時代の衣装で
総勢200名の「豊太閤花見行列」を再現しております。
↑三宝院内の枝垂れ桜
花見行列は三宝院唐門から出発して、金堂に参拝したあと、能・狂言等を楽しんで帰路につきます。
往路の西大門に通じる狭い道は人・人・人で埋まり、行列を垣間見ることすらできませんでした。
行列が金堂の観覧席に到着したとおぼしき時間に、西大門からの入門券が売り出されました。
私も大混雑を掻いくぐり、券を買って金堂前の観覧場に急ぎました。
太閤殿下とその従者を前にして雅楽・今様・狂言が披露されました。
雅楽・能・狂言等のあと、太閤殿下の帰路の行列は、全てをカメラに撮る事ができました。
境内の桜はまさに満開、何万人もの人々が春爛漫の光景を楽しみました。